私が整体師として生きる理由(わけ)③

それぞれの会社で、ある一定の期間働くということは、一転生を生きるようだ。
それは、神さまからその期間だけ、その実験地(職場)で働くことを許されているという感覚に近い。
自分の人生の選択は、自分の意志で勝手に決めていると思い込んでいるが、実は、神さまと相談しながら決めているというのが真実な気がする。
いつも新しい会社に向かうその初日、この会社には3年、この会社には5年、と一定の期限が設けられていることを直感的に知らされる。
そして、その期限は必ず守られる。
外れたことはない。
自ら進んで辞めるわけではなく、辞めざるを得ない状況が自然と作られる。執着しても時間切れの時点で強制的にはがされる。
そして、次の一転生にダイブする前に、前の一転生を後智慧し、次の一転生の先智慧をするというサイクルが存在している。
この後智慧、先智慧の期間、毎回迫ってくるのが”あなたの人生の仕事とはなにか?“という問いかけだった。
この問いかけが四六時中、私のこころの中に強迫観念の様に居座るのである。
毎回、その答えを探しても探しても見つからず時間切れとなって(次の就職先が決まり)、あの執拗な強迫観念はあっさり身を潜めるのである。
今にして思うと、後智慧/先智慧の期間(就職活動の期間)にもっとキリキリ限界までその公案に向き合うべきだったと思うのだが、その渦中では、取り敢えず早く次の就職先を見つけ、安定してしまいたい、という自己保存の衝動から自由ではいられず、浅い取り組みで終わっていた。
どこまで答えに迫ったのか、テストを受けていたのでしょう。
そのテストに合格するまでは、無限回廊のように同じところをグルグル回り続け、脱出することは出来ないというシステムが確かに存在する。
この無限回廊の牢獄は、宿命の洞窟と言っても良い。
どうして同じ繰り返しを演じてしまうのか、その原因が分からない。
宿命の洞窟は、頑張っても頑張っても、どこまで行っても苦しいだけの、抜けるに抜けられないトンネルだった。
to be continued.
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