心と現実のつながり①

うちの院は門前仲町にある、、、。
そう、例の事件で全国的に有名になった某八幡様の近所なのです。
この町で生まれ育った人は、皆八幡様と何らか関わっていて、七五三やら結婚式やら、生活に深く根付いているのです。
そのせいもあって事件が起きたとき、複雑な思いを抱いた方も少なくはなかったと思います。
私も事件の次の日辺りは、来院されたお客様と噂話に花をさかせていました、、、。
が、次第に話はエスカレートしていき、噂話が悪口に変化してゆくのは世の常、、、。
そして3日目のこと、急に客足がパタリと途絶たのです。
これは、おかしいと思い、もしかして八幡様の祟りか?と不安になってきました。
その次の日も開店休業状態!
さすがにヤバい!と思い、止観シートに取り組み心の中を点検してみました。
そうすると、出るは、出るは、こころの中から沢山の負の思いが芋づる式に出てきたのです。
代表的なものは、
“あんなことするなんて信じられない”
”これは、人として許されないことだ、しかも神職に就いている人間が”
”この人たちは、地獄に落ちるに違いない”
といった内容でした。
しかし、”祈りの道”でその心を看取ってをゆくと、
“なぜ、その人はそんな理不尽で非人間的な行動に走ったのでしょうか”という言葉でやっと暴走していた心がストップするのを感じました。
更に次の様に誘われました。
”あなたの中にある正しさは本当の正しさでしょうか”
”その行為は許せなくても、存在そのものをどのように肯定することができるのか、あなたの心に尋ねて下さい”、、、と。
こうして、事件を起こした人達に対する許せない思いが自分の中に渦巻き、その次元と繋がってしまって負のエネルギーを呼び込み、客足が途絶えてしまうという暗転の事態を引き起こしていたんだろうということに気づかされました。
人々はこうした場合、往々にして”○○の祟りだ”という風に結論づけるのでしょう。
しかし、真実は、自分の心がその事態を引き起こしていたということです。
、、、次の日、客足は戻り、満員御礼となりました。
めでたし、めでたし。
外に原因を見るのではなく、自分の内に原因を見出したとき、本当の光転が起こるということでしょうか。
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