病に対するまなざし

皆さんはふだん、病に対してどのような思いを抱いているでしょうか?
もちろん、病とは嫌なもの、出来れば避けたいもの、、、嬉しい方なんていないでしょう。
特に重篤な病を抱えた方にとって、多くの言葉は虚しく響かざるを得ないでしょう。
どうして自分だけが、、、。
一体、この事態にどう向き合えばいいのか___。
茫然自失の空白のとき。
地の果て、宇宙の果てまで、たった一人飛ばされたようなショック。
絶望感に苛まれ、一筋の光も見いだせない日々、、、。
ぼくもこんな方を目の前にしたとき、どうすればよいのか分かりません。
こんな人生最大の試練を前にして、頼りとなる杖などあるのでしょうか、、、。
しかし、、、、唯一残された希望は、魂の学が抱く、”永遠の生命の人間観、世界観”!
”死んだら終わりの人間観”に縛られていては、この最大の難所を越えることは、不可能でしょう。
”死んだら終わりの人間観”は、孤独の淵に沈んでゆく自分を温めてはくれず、苦しい苛みからも自由にはしてくれない。
生死を超えたもう一つの次元、永遠の次元の実在をはっきりと実感して、初めてこの如何ともし難い巨大な壁を超えてゆけるのでしょう。
永遠の次元に目覚めたまなざしには、何が本当に大切で、何が大切でないか、鮮明に感じられるようになる。
この次元に触れて初めて、新しい世界と出会える。
病に罹れば、一人ぼっちになると思っていたが、眼前に広がったのは「絆の海」。
死ねば終わりだと思っていた地の果てに、永遠の生命が広がっている!
不治の病に罹った人でも、その深い試練の谷をのぞき込み、生命の瀬戸際で虚飾の殻を脱ぎ捨て、大いなる存在への托身へと導かれる。
そして、自らの心と世界との間の夾雑物が取り払われ、自由で素直な魂の本来の輝きを取り戻してゆく、、、
出典:「今一番解決したいこと」高橋佳子著
たとえ、重い病でなくても、基本的な姿勢は一つ。
祟りだとか、心と行いのせいだとか、先祖供養がたりないだとか、何か他のもののせいにせず、
病を一つの条件として
魂成長のチャンスとしてとらえること!
病になったからこそ見える世界がある。
そこに呼びかけられていることがある。
それを発見し、乗り越えることで、新たな人生、新たなステージに立つことができる!
このまなざしを抱いてこれからも日々奮闘してゆきたいと思います。
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